日記、あるいは記録

日々感じた事、出来事について記録。 

結局、居ても立っても居られないため、ブログを始めることにした。

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いつの間にか季節が変わってしまった。空も風も以前とは違う。

夏とも秋とも呼び難い、この曖昧な季節が私は好きだ。

 

 

 

仕事を辞め、新聞も雑誌もほとんど読むことがなくなった。

テレビやラジオは耳障り目障りに思えて仕方がない。

人とはほとんど連絡を取らない。

 

手を伸ばすことを止めてしまうと、人はあっという間に置いてけぼりになる。

 

今日が何月何日で、世間ではどんなことが起こり、またどんなことを望んでいるのか、

それを知る為の手段が限定的なのと、それを知る必要性が今のところないために、手を伸ばさずにいると、

どこからも分断された場所に、ポツンと一人で生きている気がしてくる。

 

他人というものは自分の意志ではどうにもならない。

 

自分の思い通りにならないものの傍にいる瞬間、私のような我儘な人間はとてつもない閉塞感を感じる。

こうして一人で時間を過ごすしていると、そんな閉塞感からは完全に解放され、ある意味とても気楽なものだ。

 

その代わり私の目の前には、決して埋まることのない空白が延々と広がっていて、

他人と共存する苦痛とはまた別な苦痛を強かに味わっている。


時々本を読み、勉強をしている。

この二つを苦痛に感じないなんて、怠け者の私にしてみれば驚くべき変化だと思うけれど、たぶんこの行動原因は人から褒められたようなものでは断じてないと思う。

 

今読んでいる本は植民地時代のアジアが舞台で、

夢に楽土を求めた人の妙なる栄光が脈々と綴られている。

 

 


先日、警察署に足を運んだ。

わが人生三回目となる警察。


普通の至極真っ当な人生にはまず無縁な場所で、私もその範囲内でありたかった。

 

くだらないウソや、言い訳が易々とまかり通るこの世の中に、そんなものを罷り通した先にあるオチは何なのかと、大声で問いたくなるようなバカな流れに、通常の範囲外に否が応もなく押し出されてしまった自分の人生に、何もかもにうんざりしている。

 

何も見たくないし、何も聞きたくないし、何も喋りたくない。

完全に不当で、こちらには一切の非がなくとも、ある日突然、深すぎる穴ぼこに突き落とされた。

 

真っ暗闇にぼんやりと佇んで、何も見ず、何も感じないようにしていると、別にそういう状態であっても構わないというような気持ちにもなってくる。


突き詰めていくと、それで別に困ることは何もない。それは事実だと思う。

 

 

 

なぜブログを始めるかというと、
わざわざ情報を発しようかというと、一つだけ、とてつもない大きな確信をしているからだ。

 

それは私が手を添えようと添えまいと、時系列が動いていけば勝手にそうあるべき場所に集約していくはずだ。

 

同じ思いをしている人はたくさんいる。
その人達と、せめて何かを共有できればと思う。